【地元の紹介】東松島市

2005年(平成17年)4月1日、東松島市は桃生郡矢本町と鳴瀬町の合併(平成の大合併)によって発足した。
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、津波の来襲で、死者千人以上が出て、市内全住宅の3分の2を越える約11000棟が全半壊しました。
東松島市は日本三景で有名な松島市の東隣にあります。松島から続く「奥松島」の東端を有しており、美しい景色はもちろん、豊かな自然は春夏秋冬ともに変化する景色を楽しませてくれます。
また、ブルーインパルス飛行で有名な、今年で創設70年の松島基地があり、海と空の街それが東松島市です。

東松島市には、特に重要な遺跡として国の指定を受けた史跡が、2つ所在しています。
1995年(平成7年)2月に「里浜貝塚」が、2021年(令和3年)3月に「赤井官衙遺跡群」が国の史跡指定を受けています。
赤井官衙遺跡群は、宮城県東松島市にある「赤井官衙遺跡群」と「矢本横穴」からなる遺跡群です。今から1300年ほど前、現在の東松島市は古代牡鹿郡を治めるため、朝廷は「牡鹿郡家(おしかぐうけ)」という役所を設置しました。
また、朝廷は陸奥国(宮城県)北端の辺境の地に蝦夷(えみし)支配の政治的・軍事的拠点施設である城柵(じょうさく)を設置しました。

日本の歴史書である「続日本紀(しょくにほんぎ)によると、牡鹿郡にはこれら城柵のひとつである「牡鹿柵(おしかさく)」が設置されていたことが分かっています。
古代牡鹿郡を治めていた豪族が道嶋氏です。道嶋氏は飛鳥時代の中ごろ、上総国(千葉県)から朝廷の命令により牡鹿郡に移住してきた丸子氏の一族と考えられています。
当時、朝廷はその支配を広めるため、関東地方をはじめ、東北地方以南からさかんに人々を移住させていました。
丸子(のちの道嶋)氏は、やがて移住先の集落を役所、または城柵に造り替え、この地を治めるようになりました(赤井官衙遺跡)。
さらに、一族の墓を集落近くの丘陵に造営し始めました(矢本横穴)。これまでの発掘調査によって、赤井官衙遺跡は丸子・道嶋氏が治めた古代牡鹿郡の役所(官衙)である「牡鹿郡家」、または「牡鹿柵」と推定されています。
さらに、矢本横穴は丸子・道嶋氏はじめ、牡鹿郡の役所に勤務した役所役人や関東から移住してきた人々の墓であることが明らかになっています。
このように赤井官衙遺跡群は文献資料に記された歴史を考古学的に証明できる非常に重要な遺跡群であり、古代の東北地方の歴史を解き明かす鍵となる貴重な文化財なのです。
東松島教場 清水岳征
写真「赤井官衙遺跡」「矢本横穴」は宮城県公式Webサイトより。
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/bunkazai/shiseki36.html