第21回漢詩養賢講座「菅原道真と漢詩」を聴講しました
と き 令和4年11月27日(日) 13:30~
ところ 仙台市青葉区一番町4-1-3 仙台市市民サポートセンター(6階)
主 催 宮城県漢詩連盟(会長:山根敏春)
【講師 島森哲男先生(宮城教育大学名誉教授)】
1949年、千葉県生まれ。東北大学文学部卒後、同大学大学院博士課程修了。宮城教育大学教授を歴任。現在、同大名誉教授。専門は中国思想、特に先秦時代の諸子百家から漢代におよぶ思想を研究対象とする。
主な著書に「四字熟語―四文字が語る悠久の知恵 (講談社現代新書)」「四字熟語の教え (講談社学術文庫)」「孟子・墨子 (鑑賞 中国の古典)」等がある。
また、島森哲男先生には、令和4年10月16日に仙台サンプラザホールにて開催された、「第132回全国吟道大会」の合吟競吟の特別審査員を務めて頂きました。※岳風会の会員の方は「吟道」令和4年12月号P10を御覧ください。
◆ 菅原道真とは
菅原道真(承和12年6月25日〈845年8月1日〉~ 延喜3年2月25日〈903年3月26日〉)
日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで上り詰めた。
しかし謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神、受験の神として親しまれる。太宰府天満宮の御墓所の上に本殿が造営されている。
◆大宰府への左遷から晩年まで
昌泰4年(901年)正月に従二位に叙せられたが、間もなく「宇多上皇を欺き惑わした」「醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」として、1月25日に大宰員外帥に左遷された。宇多上皇はこれを聞き醍醐天皇に面会しとりなそうとしたが、衛士に阻まれて参内できず、また道真の弟子であった蔵人頭藤原菅根が取り次がなかったため、宇多の参内を天皇は知らなかった。
また、長男の高視を初め、子供4人が流刑に処された(昌泰の変)。道真の後裔である菅原陳経が「時平の讒言」として以降、現在でもこの見解が一般的である。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F(ウィキペディアより)
宮城岳風会の令和4年初段の審査吟題にもなっている「九月十日」についても、先生からお話があり、その中で印象に残った点として、
”恩賜の御衣 今此に在り 捧持して毎日 余香を拝す"
の部分は、本当にそうなのか疑問に思うとのことでした。
前述の「大宰府への左遷から晩年まで」に記されているように、醍醐天皇の皇位継承に関わる陰謀によって大宰府に左遷されてしまった道真が、醍醐天皇から拝領の衣をそのような扱いをしたのだろうかと?