【宮城文学散歩】鳥の海八景=亘理町=
JR仙台駅から常磐線で岩沼駅を過ぎ阿武隈川鉄橋を越えると、乗車して20数分で亘理町の北の玄関口逢隈駅に着く。
駅西側にある小高い丘が国指定史跡陸奧国亘理郡衙(郡役所)「三十三間堂官衙遺跡」である。発掘調査で12ヘクタールに及ぶ広大な平安時代前半の遺跡が南北に在った事が分かった。
北区には実務官衙(郡庁院) があり役所の建物十棟や塀の跡が、南区には倉庫群の礎石が整然と配置されているのが見られる。 いよいよ今年度着工される公園整備が待たれる。
この近くには貝塚や竪穴住居跡 ・横穴墓などが多く、古墳時代後期から平安時代のものと見られ、阿武隈川と鳥の海の入江が交錯していた処と推測されている。
郡衙が役目を終えた後の平安時代、 この地を治めたのが「亘理郡権大夫藤原経清」であった。
過ってNHK大河ドラマで放映された「炎たっ」で奥州藤原文化を築いた「藤原清衡」は経清」の嫡子であり、感慨深いものがある。
逢隈駅から数分で町の中心地亘理駅へ。
駅舎に隣接する悠里館は亘理伊達家の居城「亘理要害(臥牛城)」を模した城造りの建物で郷土資料館・図書館が人居。 5階からの展望は西方に阿武隈山地や蔵王連峰、東には亘理平野や太平洋、微かに牡鹿半島や金華山までが望める。
亘理駅から北西へ徒歩15分の処には亘理伊達家初代領主「伊達成実」を祭神として祀った亘理神社(亘理要害跡)がある。
成実公は片倉景綱とともに伊達政宗家臣の双璧として活躍したことで知られる。成実公の菩提寺「大雄寺(だいおうじ)」は、神社から国道六号線地下道を潜り徒歩15分程の丘陵地にあり、境内には成実霊屋(成実公の木造座像安置)
のほか亘理伊達領主歴代(13代)の墓所がある。
亘理駅から車で10分、荒浜海岸の人江「鳥の海」に着く。
この一帯は12年前の大震災で甚大な被害を受け様相は一変した。今の「鳥の海」は堅固な防波堤に護られ、住宅地跡は芝生の広場やグラウンドとして整備され町民の憩い場となり「わたり温泉鳥の海」の5階建だけが一際目立っ異様な光景となっている。
古代の鳥の海は阿武隈川河口であったと伝わるが、亘理伊達領主の時代からは塩田が開かれ、折々には仙台藩主等を迎え狩場や遊行されるほどの景勝地となっていた。
この当時を「鳥の海八景」として和漢詩二様に残したのが、亘理伊達六代領主村重公の侍医「馬場三達」で三達は主君の命を受け詠んだとされている。
漢詩「鳥の海八景」は、
一、鳥海秋月 二、檻外観爛 三、鳥屋崎水鳥 四、蛭塚夜雨
五、松崎タ照 六、塩釜閑煙 七、荒浜帰帆 八、当行晩鐘
で構成され当時の情景が詠まれている。
この漢詩に譜付けし亘理第一教場(現亘理教場)の詩吟教材とした先輩(元)会員がいる。
当時の担当師範後藤岳宗先生(現・本会名誉会長)監修の下で携わったのは故山形麗岳・上田一山の両氏である。平成14年のことで、丁度筆者が入会した年。
その後、漢詩「鳥の海八で景」は県南地区吟道大会や亘理町文化祭等で身近な漢詩として吟じ、詩吟の普及啓もうの一助とした時期があった。
漢詩「鳥の海八景」全文を掲載出来ないのが残念だが、書き下した一景「鳥海秋月」のみ紹介をさせていただく。
三秋の潮色 江満て濃なり
月を戴て縦横 舟松に人る
婦に謀って携え来る 魚与酒と
児童此の夜 吾が為に供す
この寄稿に際し「鳥の海八景」全文の通釈をいただいた総務部次長山根岳詠先生に改めて感謝を申し上げ「完」とします。
*【参考資料】郷土わたり(NO.21,36,107号わたりの郷めぐり・わたりの歴史めぐり)
(亘理教場 坂本杜岳)